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第25回短編小説の集い参加作品ー演劇病

久しぶりの短編小説の集い!
最後に参加させて頂いたのが第14回なので、約一年ぶりです。

ご存じの方も、初めましての方も。どうぞよろしくお願いいたします。

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

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演劇病


 底が抜けたように寒い、冬の朝のことだった。
自販機から出てきた缶コーヒーは想像以上に熱い。漱也はお手玉のように手の中で缶を泳がせる。
「あっち!」
思わず上げた声、耳を触る仕草に通りすがりの知らない女子がクスクスと笑う。

漱也は自分の行動に愕然とした。
こんなの俺のキャラじゃない。自分は一体どうしてしまったと言うのか。
中学の時のあだ名は黒子、もしくはステルス。
ステルス迷彩をまとったような漱也の存在は、高一の今とうとう人の目には映らなくなったようだった。高校でのあだ名は無し。それどころか入学から半年、誰かと個人的な会話をしたこともない。


目立たないこと、人目をひかないこと、自分の感情を他人に推測されないこと。
それが漱也の日々の目標だった。

だから声を上げるなど論外。たとえ熱すぎる缶コーヒーに手の皮が剥けようとも、人目を引くような激しい動作はしない。

それがいつもの漱也のはずだった。
今日は何かが違う気がして、彼は不安そうに頭を振り、そして頭を振ったことにも激しく動揺した。

決定打は授業中。
消しゴムを落としてしまった漱也は漏れそうになった声を必死で抑えた。
おかしい。なぜ声が出る。なぜ目で追ってしまう。

普段なら身じろぎ一つせず、落としたことなど悟らせずに授業を終え、何事も無かったように素早く拾うことができた。

いつものTHE・忍者な俺どうした⁉

そんなことを考えていたら無意識に頭をかきむしってしまっていた。
「はいどうぞ」
机の端にコトン、と小さな消しゴムが置かれた。
振り返ると後ろの席の女子がニコニコと丸い目を彼に向けている。
「ありがとう」
名前なんだっけ、という戸惑いまで顔に出てしまったらしい。
彼女が答える。
「文香。熊谷文香。ねぇ、漱也君ってそんなにリアクション上手だっけ?消しゴム落として頭掻きむしる人、初めて見たよ」
面白過ぎる!と二つに結わえた髪を揺らして文香が笑う。その目が好奇心でキラキラ輝いていて、漱也は圧倒されてしまう。

そっちのほうがわかりやすいじゃないか、と興味津々のまなざしに悪態をつきたくなる。

でもさ。
漱也はふっと昔を振り返りたくなった。
俺だってほんの数年前には、あんな風に心の中身が筒抜けの目をしてたんじゃなかったっけ。すぐに笑って、すぐにふくれて、ぎゃあぎゃあ泣いて。

昔の俺は酷かったな、と漱也はあの頃を思い出す。

漱也がステルス・モードを手に入れたのは小5の冬だ。
それまでの彼は嘘のつけない、思ったことが全て顔に出る単純な子供だった。
よく笑い、怒り、泣く。喜びも悲しみも、すぐ口に出るか態度に現れた。

自分の目に映る世界はいつも真っすぐで分かりやすくて、それが真実だと信じていたあの頃。そんな思い込みがもろくも崩れたのは新担任、迫田のせいだ。

迫田はお気に入りの女子を特別扱いする、エコヒイキで陰険な教師だった。
クラスの殆どが彼を嫌っていた。もちろん漱也も。

しかし彼の嫌悪はあまりにも分かりやすかった。迫田はすぐにそんな漱也に目をつけた。
お気に入りの女子相手に猫なで声で話す迫田に、漱也が嫌悪を感じていると彼は必ず振り返り、
「その顔はなんだね、漱也君?」
と聞いた。

漱也の怒りも軽蔑も嘲りも、どんな些細な感情でも迫田は見逃しはしなかった。
そのうち漱也が無邪気に笑っている休み時間や、楽しい給食の時間にまで、
「その顔は何だね?先生を笑っているのかね?」
と聞くようになった。

追い詰められた漱也は笑わなくなり、怒らなくなった。
自分の感情全てを奥底に押し込んで、揺るがなくなった。

筒抜けちゃいけないのだ、と彼は悟ったのだ。
世界には敵がいる。思ったこと全てを伝えるのは油断であり、落ち度だ。

こうして漱也は感情を押し殺す術を学び、目立たないように逃げ延びる術を学んだ。
当時大好きだったゲーム「メタルギアソリッド」のスネークのような最強のスパイに生まれ変わったはずだったのに…。

「そこ、雑談禁止!」
いつまでも後ろを向いてぼんやりしていたから、教師の厳しい激が飛んだ。
突然現実に引き戻されて、うわっ、と漱也は両手を上げる。
そんな彼を見て、文香がまたクスクスと笑った。

絶対に、おかしい。

 


何かがおかしいんです、と言う不明瞭な相談だったのに、診断結果はすぐに出た。
病名は「演劇病」。

神経物質の伝達がナントカカントカで、感情が表に出やすくなったり、オーバーリアクションになってしまうらしい。
まるで舞台役者のように演技過剰になることから演劇病の名がついた、とのこと。

薬を飲めば抑えられるから出しときますね、と初老の医者は事もなげに言った。
それから漱也の目を覗き込む。
「主な要因は過剰なストレスだってさ。心当たり、ある?」

 

薬の袋をぶら下げながら、夜の河川敷を歩いた。
病院は混み合っていて、待ち時間2時間、診察はたったの15分。
暗い河川敷の道を、点いたばかりの街灯が弱々しく照らしている。

ふらふらと心許ない足取りで歩いていると、聞き覚えのある声がした。
誰かが河原で発声練習をしているようだ。

少し背の低い、丸い背中に見覚えがあるような気がして目が凝らすと、視線に気がついたのか男が振り返った。
小さな黒い瞳、丸い頬、温和そうな顔。
「雄太!」
まだ薬を飲んでいなかった漱也は、大股開きで指差し確認というオーバーリアクションをとりたくなる衝動と、自制心の間で千鳥足になり河原の斜面を滑り落ちた。

「久しぶりなのに相変わらずだな」
そう雄太は笑った。

昔、感情だだ漏れだった頃の漱也の親友が雄太だった。
いつも笑顔で、時折はっきり言い過ぎて角が立つ漱也を穏やかになだめてくれる優しい友人。彼が転校してしまったのは漱也が変わった小5の時だ。

漱也が迫田のターゲットにされたばかりの頃、なんとか漱也をかばおうといつもオロオロ、泣きそうな顔をしていた雄太。気の弱い彼は漱也以上に迫田の態度を気にし、とうとう胃を壊して給食の時間にひっくり返った。

そのまま転校してしまった彼と会うのは5年ぶりだ。
変わらない、丸い笑顔に漱也はホッとした。

「お前、こんなところで何やってんの?」
「実はさぁ…」
雄太は照れた顔で1冊のノートを差し出した。表紙にはゲスパー雄太ネタ集と書かれている。
「俺、高校でお笑い研究会に入ったんだ。今度発表会があるから、その練習中でさ。よかったら聞いてくれる?」

 

雄太のネタは最高だった。

ゲスなことしか見抜けない最低のエスパーと言う設定で、出てくる話はくだらないエロ妄想ばかり。雄太の穏やかな顔立ち、のんびりした話ぶりと、どぎつい下ネタが噛み合わなくてそこが余計おかしい。
これを学校でやるのかよ、と漱也は腹を抱えて悶絶した。


「良かったよ、漱也が変わらなくて」
コントが終わった後も笑いが止まらない漱也を見て、雄太が言った。
「5年の時、俺だけ逃げてごめんな。お前が迫田のせいで無表情ロボットになった、って噂聞いて心配してたんだ」

無表情ロボット。それは真実だから漱也の胸に突き刺さる。しかし今の「演劇病」状態では信じてもらえないだろう、と彼は話を適当に受け流そうとした。

「まぁ、あの頃は俺もひどい感情だだ漏れ野郎だったからさぁ」
「何言ってんだ?あんなの迫田がおかしいに決まってんだろ⁉」
お前は何にも悪くないだろ、と雄太は少し怒ったような声で言った。

 

あぁそうか。漱也は初めて自分の間違いに気がついた。

漱也は迫田に絡まれたのは自分のミスだと思っていた。考えがあまりにも筒抜けだから、あんな風な嫌がらせを受けるのだと。自分に付け入る隙があったから駄目だったのだと。

もしも俺が悪いんじゃなく、迫田がただのヤバい奴だったとしたら?

迫田のような存在を恐れて、漱也はアラームの鳴り続ける厳戒態勢中のスネークのように隠れて潜んで生きてきた。

いつアラームは解除されたんだろう?俺の任務はもう終わったのか?

 

「俺はあの頃赤面症で、人前が苦手だったからさ。お前の何でもはっきり言えるとこ、結構羨ましかった」
雄太があの頃と同じ、穏やかな声で話しだした。
「それで思い切って、度胸つけるためにお笑い始めたんだ。まだ全然だけどさ。今日笑ってもらって、少し自信ついたよ」
それからさぁ。雄太は少し息を吸って、言った。

「もし良かったら、俺とコンビでお笑いやらねぇ?いや、もしじゃなくて。是非。絶対。いつかお前とやりたくて、台本書いてあるんだ。漱也は手足長いしリアクションにもキレがあるから、舞台映えするし丸い俺とはいいコンビだろ。お前といつか組むために、左は開けといたからさ!」
「…俺はボケなのか?」
お笑い芸人の立ち位置を頭に思い浮かべながら、漱也は尋ねた。
ダウンタウンは左側が松本だった気がする。
「いや!俺たちが爆笑問題なら俺は田中の立ち位置だろ?お前は太田キャラだから左だよ」
自信満々で雄太が答える。

あれ?太田は右じゃなかったっけ?TV画面から見た話なのか、それとも自分から見ての話なのか、頭がこんがらかってくる。それに結局、太田はボケじゃねぇか。
漱也は可笑しくてたまらなかった。

 

ずっと段ボールを被って生きてきたのに、今までの警戒モードは何だったんだろう?
右側には親友がいて、左手には今日貰ったばかりの薬がぶら下がってる。

文香の丸い目、雄太の笑顔。
今日もいつも通りの一日だったはずなのに、世界はなんだか裏返ってしまった。

あの頃のヒーローに漱也は呼びかける。
スネークスネーク、聞こえますか。俺の任務は終わったのかな。それともこれは新しい始まり?

 

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